『わけあり物件』 3/5
[平日夕方に小説が届くニュースレター。月曜から金曜の全5話で完結する奇妙な物語です。土曜日には、一気読みできる記事を配信します。メールドレスを登録いただくと毎号メールで届くので、続きを見逃さずに読むことができます。今日もお疲れ様でした。一日の終わりに一話いかがですか?]
病院に呼び出された時点で深夜0時を過ぎていたが、村本は病院を飛び出しすぐそばの公道でタクシーを拾った。
「この住所まで向かってください」
ラジオからは聞いた人が踊りたくなると話題の最新のJ-POPが流れていたが村本の耳には届いていない。昔若林から聞いた言葉に思いを巡らせていた。
「村本さん、よく作家は自分の血を文字に表すと言われているが私は違う。私にとって作品は血ではない。血肉だ。私は作品を生み出すことに命を掛けている」
あの時の若林の目は、自らが生み出してきた多くのフィクションとは違い本物だった。必ず原稿は完成している。村本は確信していた。
タクシーがその場所へ着いたときは遠くの空が青く色付き始める頃だった。目撃者もおらず心臓に疾患があるわけでもなかったので警察は事件も視野に入れて捜査し始めるだろう。チャンスは今しかない。村本は若林にいつも持たされていた合鍵で古いアパートの扉を開ける。
扉が閉まる衝撃で部屋の天井が軋んだ。明らかに外と佇んでいる空気が違った。嫌な気配が全身を包む。村本はやっと思い出した。ここはわけあり物件だということを。
カップラーメンの容器や水のペットボトルが散乱する部屋。一つだけある本棚、そこに入りきらずに積み重なった本。机の上には灰皿に山ほどのタバコ。そしてこの部屋にはおよそ似つかわしくない最新型のノートパソコン。
「若林さん……」
若林はこんな場所でたった1人で、ただ作品と向き合い続けていたのだ。作品を生み出すためにこんな場所で一人、全ては傑作を生み出すために。
パソコンの電源を入れる。不用心だがパスワードを設定していなかったことに、このときは助けられた。
「これだ……」
村本は原稿が入っているであろうファイルを見つけ開いた。薄暗い部屋で、気味の悪い単語の数々が並んでいたが村本にはその一字一字が明るく輝いて見えた。若林が生き絶えるその時まで書いていた作品。村本は一度深呼吸してから読み始めた。
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