『誘い水』 ※一気読み

 俺は不細工だが特に女に不自由していない。もちろんプロではなく一般の女の話をしている。金を持っているわけでもお笑いセンスを持ち合わせているわけでもない。実家が太いわけでもなければインフルエンサーでもないし性格も悪い。
バラシ屋トシヤ 2023.05.13
誰でも

 俺は不細工だが特に女に不自由していない。もちろんプロではなく一般の女の話をしている。金を持っているわけでもお笑いセンスを持ち合わせているわけでもない。実家が太いわけでもなければインフルエンサーでもないし性格も悪い。

 なのにそんな俺がなぜ定期的に違う女を抱くことができるのか? それは〝ブラフ〟を駆使しているからだ。このSNSが生活の中心に蔓延る時代、承認欲求という自身の中に住む悪魔に勝てる者などほとんどいない。芸能や歌手、アイドルは類まれなる努力と生まれ持っての才能、その両方を持ち合わせていなければなれなかった時代から、今は誰でもやり方次第では表舞台に立てるようになった。

 例えば学校ではパッとしなかったあの子も、家に帰れば投げ銭で何十万も稼ぐネットアイドルに変身しているかもしれないし、美術の成績が悪いはずのあいつが、一枚投稿すれば何十万リツイートされるイラストレーターになっているかもしれない。

 つまり、誰でも〝ブラフ〟を使えば人気者になれるチャンスがあるのが今の時代だ。美人でないものが美人のふりをする。才能のないものが才能があるふりをする。その世界でトップを目指すのではなく、ある程度の人気を得る方向で考える。そして世の中もそんな未完成で〝ブラフ〟に塗れた人間を身近に感じ人々は推し始めるのだ。

しかし俺の言う〝ブラフ〟はその次元の話をしているわけではない。その承認欲求が抑えられなくなった女に少しの〝ブラフ〟という名の誘い水を出す。その偽物の甘い蜜に呼び寄せられた愚かな世間知らずを手籠にするのが俺のやり方だ。

 俺にはこれと言った才能はないが流行している各SNSからそんな世間知らずを探し出す才能には長けていると自画自賛する。

 流行りの音楽に合わせて加工しまくった姿で踊る女のコメント欄は、その女に気に入られたいが為に肯定する意見と嫉妬に塗れた悪態が蔓延る。その女は女で賛否があるのは人気者になった証だと喜ぶ。そんな女の承認欲求を少し満たしてやる〝ブラフ〟を使えば簡単に言うことを聞かせることができる。

 悪いことをしている自覚がないわけではない。しかし考えても見てほしい。俺は昔から女とは縁がなかった。いつも意中の女は面のいい男や運動神経抜群のイケすかない男どもに持って行かれていた。成人し、この〝ブラフ〟を使えるようになるまではほとんど女と口も聞いたことがなかった。かと言って女に無理強いすることはない。ストーカーじみた行為なんてしたことはない。今世間を震撼させている連続殺人事件の犯人は、考えることをやめてしまった世界線の俺ななのかもしれない。不満を不満のまま己の中に抱き続け爆発させてしまう人間は少なからず存在する。俺も意中の女を手に入れることができず、後ろをつけ狙うことしかできなかった未来もあったかもしれない。いや、ストーカーや殺人の場合だけではなく、世間で起こっているほとんどの事件の犯人は自らの境遇に言い訳し、妬み、嫉みを抱きに抱いて強硬手段に走ってしまっただけに過ぎない。それに比べたら俺の〝ブラフ〟なんて可愛いもんだと思わないか?

 まず初めにするのは獲物探し。芸能事務所を立ち上げるわけではないのだから本当にアイドルになり得そうな人物を探すわけではない。自分の好みと〝ブラフ〟が通じる絶妙なラインを見極めるのだ。候補はたくさんいる。それほど自撮りをネットにあげる女は増えてきた。ターゲットは常に10人前後。それが俺が管理できる限界数である。その中でも最近のお気に入りの女がこのSNSのフォロワー数が3万人弱いる〝ちか姐〟である。ちか姐は際どい写真こそ投稿しないがその愛くるしい童顔と服の上からでもわかるボディーのギャップで人気を得ている。その見た目とは裏腹に性格は負けん気が強くていじっぱりで一番ちょうどいい。この間もアンチコメントに反応し、コメント欄でだらだらと争った挙句にブロックし、それでも腹の虫が治らなかったのかスクショしたコメントを晒し賛否を呼んだ。こういう女こそ目先の成功に飛びつく。とにかくSNSで人気を博す人間の類は、それ自体が〝仕事〟だと言いたがる。家族や友人に散々言われてきたのだろう。「あんなのは仕事じゃない」だの「芸能人気取り」だの。

 その弱みにつけ込み誘い込む。まずは架空の芸能事務所のスカウトマンになりきるところから作戦はスタートする。DMは基本的にはテンプレである。『私芸能プロダクションの○○と申します。この度ご連絡させて頂きましたのは、是非我が社所属のタレントになって頂きたいからです。』などと送る。プロダクションは大手すぎず、しかし適当ではなく実在する事務所をチョイスする。こう言った類のDMがひっきりなしに来ていることが予想されるので、烏合の衆に埋もれないよう、その後の文言にあらかじめ投稿をチェックしそれらを反映した言葉を付け加える。

 例えばちか姐の場合は毎日21時に決まってその日の日記と共に写真を一枚あげる。21時に投稿するのはその時間帯が一番SNSを開いている人間が多くいて、バズりやすいと言う記事を読んだからなのだろう。大したことではないがちか姐なりのプロ意識である。

 DMの文言に『毎日21時に投稿されているところにプロ意識を感じました。そして私自身ちか姐様のいちファンとして21時が楽しみになりました。さらに活躍されるためのお手伝いをさせてください』とテンプレに付け加えるだけでこのメッセージは実直に自分自身に向けられているんだと伝えることができる。呼び出してしまえばあとは運試し。少しずつ甘い汁をまき、それに乗ってくるのを待つだけ。会うところまで漕ぎ着けられる確率は約70%、そこから関係を迫り乗ってくるの確率は20%。まあ成功することの方が少ないが悪い数字ではない。もしもその企みを晒されるようとも名前も事務所もアカウントも全てブラフ。猫も杓子も複数のアカウントを作り放題なのが今のSNSの現実である。

「さて送信っと……」

果たしてちか姐は乗ってくるのか?

 私の名前は橋本千佳子。25歳のフリーター。都内で一人暮らしをしている。25にもなって停職についていないのは子供の頃からの夢であるアイドルにこの歳になっても憧れているから。家族や友人はいい加減夢を見るのはやめて就職するなり結婚するなり人生を考えろと言ってくる。しかし私は子供の頃からいわゆる普通の人生というのに魅力を感じたことはない。そう思って生きてきたのだからここで諦めたら、5歳の頃から始めたダンスも、小学生の頃から始めた演劇も、中学からひっきりなしに受けてきたオーディションも、それこそ今までの人生が台無しになると思っている。アイドルになるためにこの人生を捧げてきたのだからアイドルになれなかった人生を含めて私であるということにみんな理解を示してくれない。

 例えば幼い頃から絵の道を志した人がいて、美大に入学するために絶え間ぬ努力を続けてきたとしよう。その後画家になれなかったからといって諦めが着くだろうか? そこで割り切れる人の方が少ないと思う。もし割り切れたのであれば申し訳ないが本気じゃなかったからだとさえ思う。画家になる為に人生のあらゆる分岐点を選び進んできたのだからそれまでの人生が台無しになる選択をどうして年齢や挫折なんかの理由で諦めることができようか? 私は一生〝アイドル〟か〝アイドルを目指す人間〟であるしかないのだ。だからと言って現実が見えていないわけではない。きっと私は後者だと何となく気がついている。

 そう思っていたところ、たまたまテレビで見ていた番組でとある新人アイドルグループが目に入った。話によるとそのアイドルグループはSNSで話題の人間を集めて作った即席のユニットらしい。ほとんどがダンスや歌も素人に毛が生えた程度で、容姿だって大したことない。一番驚いたのはメンバーの年齢であった。10代が当たり前だと思われた時代に半数が私と同じかそれ以上の年齢だった。それでもその素人っぽさが世間には受け入れられており、私は衝撃を受けた。さらに驚いたのはそのようなアイドルやタレント志望がSNS上には五万といるのを知ったからだ。私はその日から早速アカウントを作りSNSの投稿を始めた。 

 情報によればフォロワーが1万を超えたあたりでPRなどのお金が発生する仕事が舞い込んでくるようになるらしい。さらに増えれば芸能事務所からDMが来てその事務所に所属することもあり得る。アイドルを目指す人間からアイドルへと変わるにはこれがラストチャンスであると確信した。

 それからというものSNSの運営について書かれた記事を片っ端から読んだ。投稿は毎日同じ時間に。21時が一番人々がSNSを眺めているらしい。今の時代写真は〝ブラフ〟の塊だ。加工をすれば何物にもなれる。フォロワーさえ増えてしまえばこっちのものだ。うまくブラフを使いこなし人気を獲得する。私が投稿するコンテンツ、その全ては誘い水なのだ。

 私の思惑は気持ちいくらいにその通りになっていった。徐々にフォロワーは増えとうとう目標としていた1万人を超えた。それと同時にアンチと呼ばれる人間も増えてきたが私は負けない。今までどれだけの逆境にいたと持っているのか。PRの仕事の依頼もどんどん増えてきたがあくまで私の目標はアイドル。目先の金には目もくれず、大きな仕事が舞い降りるまではアルバイトをこなし続けると誓っていた。

 フォロワーが3万人を超えたころ、今まで私を馬鹿にしていた友人から連絡がくるようになった。「私は成功すると思ってた」などという戯言もちょくちょく耳にするようになった。それでも私は決して浮かれたりしない。そう、子供の頃からの夢を叶えるため。自分の人生を歩み続けるため。

 私がちか姐というアカウントを作り1年が経とうとしたある日芸能事務所のスカウトマンからDMが送られてきた。

〈私芸能プロダクションのBRTSの田所と申します。この度ご連絡させて頂きましたのは、是非我が社所属のタレントになって頂きたいからです。毎日21時に投稿されているところにプロ意識を感じました。そして私自身ちか姐様のいちファンとして21時が楽しみになりました。さらに活躍されるためのお手伝いをさせてください〉

〈田所様。この度はご連絡ありがとうございます。ちか姐です。いつもご覧いただいているとのことでとても嬉しいです。私もそろそろ事務所の所属したいなと考えていたところだったので驚きました。是非一度お話をお聞かせください〉

〈ちか姐様。お世話になっておりますBRTSの田所です。返信ありがとうございました。つきましては来週のどこかでお時間いただけますでしょうか? どこかのカフェかなんかで一度お会いいたしましょう。〉

〈ありがとうございます。来週ですと水曜日でしたら夜にはなってしまうのですが空いております。カフェでとのことですが、リモートなどではダメでしょうか?〉

〈田所です。そうですね、詳しくご説明させて頂きたいのと、今後の契約などもスピーディーに対応できるかと思いまして。無理にとは言いませんが一度直接お会いしておきたいです。都内におすみだと思うので、ちか姐様の最寄りの駅までお伺いいたします。〉

〈承知いたしました。ではカフェでお会いしましょう。仕事が終わってからになってしまうので19時に東中野の駅前のカフェで待ち合わせいたしましょう。〉

〈承知いたしました。ご無理を言ってしまい申し訳ございません。当日お会いできるのを楽しみにしております。それでは引き続きよろしくお願いいたします。〉

〈こちらこそ申し訳ないです。私も楽しみにしております。よろしくお願いいたします。〉

「かかった」

 ここまでうまくことが運ぶとは驚いた。

 駅を出ると雨が降っていた。ようやくこの時が来た。今日は久しぶりの狩だ。駅前の横断歩道は会社帰りの人間が雨のせいもあり暗い顔で行き交うが俺は浮かれていた。その後ちか姐、いやアイドル志望の橋本千佳子とは何度か直接会い、何度も話をして丁寧に誘導した。

「売れている人間はみんなしていること」

「自分の力があればキミを事務所のトップタレントにプッシュすることができる」

 常套句だがこれ以上に本気の人間、そして焦っている人間をを迷わせる言葉を俺は知らない。そして巧みに今日という日が訪れるように少しずつ誘い水を出した。相手はずば抜けて美人というわけではないが普通に生きてきたら俺のような人間がおよそ関わることはないレベルの女だ。待ち合わせ場所に到着すると、すでに橋本周子は到着していた。もう何日も考え覚悟を決めていたのだろう。着いた側から俺の腕の間にスルッと自身の腕を絡ませた。それから俺たたちは駅から少し外れたネオン街へと足を運ばせた。

 数日後、連続殺人事件の犯人が逮捕されたというニュースが世間を騒がせた。逮捕されたのは

木嶋早苗(32)ごく普通の企業に勤める会社員である。同僚の話によると木嶋容疑者は会社での存在感が極端に薄く、何でもそつなくこなすが同僚と関わろうとはせず定時になるとすぐに会社を出る人間だったという。容姿は地味で生えたままの黒髪。髪は長めで後ろで束ねてはいるが前髪はだらしなく顔を覆っている。メガネをかけており俯きがちで喋るのではっきりと顔を思い出すこともできないような人間。

「そんなことをするような人には見えなかった」

 口を揃えて木嶋を知る人間はそう言う。ワイドショーでよく聞く、取るに足らない毎日何処かで起こっているようなニュースがなぜ世間を騒がせたのか? それは殺した人間の数が多いことに加えて木嶋の手口にあった。木嶋は複数のスマホを駆使し優に100を超えるのSNSのアカウントを所持していた。そしてその一つ一つのアカウントで別人のふりをして投稿していた。

 あるアカウントでは田舎から出たての大学生。あるアカウントでは歌ってみたの配信者。あるアカウントでは漫画家志望のアシスタント。あるアカウントではアイドル志望のフリーター。

 遺留品から名を偽る木嶋との接点が見つからなかったため、犯人特定まで時間がかかってしまった。木嶋はその全てのアカウントで別人を装い、そしてその全てを演じてみせた。ブラフを語り、誘い水を出し近寄ってくる男を言葉巧みにホテルへと誘い出し犯行に及んでいたのだった。

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