『そばにいるよ』 ※一気読み
進学で上京し、念願の一人暮らしを始めて早一年と半月。今年二回生になった西野ななこは順風満帆だった。成績も学内でトップクラスでプライベートも充実している。ゼミの仲間は気が合う人ばかりだし一個上の先輩、田崎健治ともいい感じだ。でも一つだけ悩みがあった。それは最近バイトから家に帰る途中、背後に視線を感じること。
田島と西野が知り合ったのは映画サークルの新歓だった。どうにか酔わせて女の子に近寄ろうとする奴らと比べ田島は終始紳士的だった。泥酔してしまった仲間の介抱をしつつも常に周りに気を配り西野を始めとする新入生を楽しませようとしていた。
好きな映画を語りつつ、なんだかんだ理由をつけて飲みたいだけのくだらないサークルだったが、西野が辞めなかったのは田崎が理由だと言ってもいいだろう。
「好きな映画があるんだ」
飲み会で終電を逃した西野を家へと送るときに田島がふと話し始めた。
「そこまで話題にならなかったラブストーリーなんだけど、音楽と主人公たちの境遇が絶妙にマッチしていて、その映画のことを思い出すだけで気分が軽やかになるんだ」
「どんなお話なんですか?」
映画は好きで、一人でもよく劇場に足を運ばせる西野だったが、その映画のタイトルには聞き覚えがなかった。
「そうだね、ストーリーだけを話すととてもありきたりでチープな物語さ。運命的に知り合った男女が紆余曲折の末に結ばれて……」
「王道中の王道ですね」
「だろ? 仲間にお勧めするんだけどさ、こぞって酷評されるんだ。だからもう勧めるのはやめたんだ」
「その話、そのまま結ばれて終わりなんですか?」
「……いや。最期は男性の方が病気で亡くなってしまうんだ」
「なるほど、展開までありがちなんですね。でもお勧めしないのに、なんでその話私にしたんですか?」
「何でだろうね?女子と二人でいるのが気まずくて、話せる話題がこれしかなかったからかな」
そう言うと田島は照れくさそうに笑った。
西野はそのチープな物語を見てみたいと思った。ただ田島ともっと話したいと言う不純な動機だった。だが大きなレンタル店で一本しか置いていないほど不人気のその作品が、西野の心にも刺さった。確かに内容は王道ではあったのだが独特の台詞回しと、田島の言っていたマッチしている音楽。会話劇が主で、それでもその映画には最後まで見させる力があった。田島の言っていたことが何となく理解でき共感できたのが嬉しかった。
その映画の感想を田島に話したのがきっかけで、二人の関係も少しずつ近寄っていった。しかし二人とも恋愛に対しては奥手で、何度かの映画デートを重ねたが、一年以上経った現在も友人関係のままであった。お互いに意識しているのは周りが見ても明らかだったが、あまりにも美しくそして理想的なカップルであったこともあり、嫉妬からか二人に交際のきっかけを与える者も側にいなかった。それでも西野はもどかしい今のこの状況でさえ、幸せを感じ満足しそれ以上は求めていなかった。
そんな二人が付き合うきっかけは、不幸中の幸いがもたらした。西野のバイト先に、少しおかしなことをを言うクレーマーの男が現れたからだ。西野は家と学校のちょうど間くらいの距離にあるスーパーでレジ打ちをしている。基本的には学校が終わって夕方から夜の閉店までの四時間が西野のシフトだが、土日のどちらかは朝の開店の時間から働くこともある。朝働いて知ったことだが、朝は前日に余っていたお惣菜が安く販売されていることもあり、かなり多くの人が開店前から並んでいる。その男も朝の争奪戦に参加している常連の一人だった。
ある日の朝いつものように開店時間になり一気に人が流れ込んだときに事件は起こった。
「痛い!あなた何するの!?」
西野はレジから身を乗り出して声がする方へ目を向けた。どうやら男が無理やり列に入り込み肘でご婦人の横腹を突いたらしく、揉めている様子だった。
「うるさい!あっちへ行け!邪魔だ!」
男の大声が店内に響いた。すぐに店長が駆け寄って男性を制止した。
「何だお前は!?俺が悪いんじゃない。この女がぶくぶく太ってるから邪魔なんだ!」
男性は制止されても暴言を吐き続ける。
「お客様。他のお客様のご迷惑になるので2階にあるスタッフルームでお話しましょう」
店長が冷静に男性を諭そうとすればするほいど男の怒りのボルテージは上がった。
「なんて店だ!もういい!帰る!覚えてろよ」
男はそう言い放つと駆け足で店を飛び出してしまった。
「ちょっとあの男を捕まえて!警察を呼んで!」
ご婦人も怒りで身体が震えていた。店長が追いかけると、近辺にはもうその男の姿は見えなかった。西野にとってこの店で働き始めて経験した修羅場であったが、それが自分に向けられたものではなかったので、どこか他人事のような感覚だった。帰りにロッカーで着替えているときに、パートの人に「また来たら嫌ですね~」と笑いながら雑談をしたくらいだ。
次の週の日曜、西野はまた朝からシフトに入っていた。まもなく開店の時間だという頃、列の後ろに例の男の姿が見えた。西野の担当する1号レジは入口からちょうど見える位置にあった。男の姿を見つけた西野はすぐに店長の元へ走りあの男がまた来ている旨を報告した。店長が入口の方を覗き込むと目が合った男は並ぶのを辞めて直ぐにその場を去ってしまった。
「よくあんな騒動起こしておいてまた来られますね」
西野は不思議そうに店長へ尋ねた。
「あのお客様は年に数回はああやって何か事件を起こすんだ。一度もう来ないでくださいと実質出入り禁止にしたんだけど忘れた頃にこの間みたいにやってくるんだ」
「この間が始めてじゃなかったんですね……」
西野は嫌な予感がした。入口から男の姿が見えていたということは、男側からも西野の姿が見えていたと言うこと。
「あの人に……私が店長に言い付けたのを、見られたかもしれません」
次の日、西野は学校で昨日の出来事を田島に全て話した。田島は少し不安そうな顔で終始その話を聞いていた。
「流石に大丈夫だとは思うけど、最近は物騒な事件が多いからね。用心するに越したことはないよね。心配だな」
西野が田島にそのことをわざわざ打ち明けたのはまさに心配してもらいたかったからだ。そしいて思惑通り田島は西野のことを心配している様子だった。
「もしも私がその男に襲われるようなことがあったらどうしますか?」
西野は悪戯っぽく田島にそう尋ねた。
「冗談でもそんなことは言わないでくれ!」
田島は語気を荒げた。
「キミにもし何かしたら俺はその男を許さないよ。どんな手を使ってでも見つけ出して復讐するだろう」
西野は声を荒げた田島に驚いたが、驚いたと同時に嬉しかった。
「じゃあ襲われないように守ってくださいよ」
そんな言葉が自分から出たことに自分が一番驚いた。この事件がきっかけで二人の交際はスタートしたのだった。
西野はバイト中も浮かれていた。いつもはしないようなミスをし、店長に怒られたがそんなことではフワついた心は戻らなかった。やっとあの田島と付き合えた。一年以上抱いていた想いが、遂に身を結んだ。
頭の中ではあの映画の名場面がよぎる。運命的に結ばれた二人を自分達に照らし合わせて西野はニヤついていた。そうやって身の入っていない働き方をしているうちに夜のピークの時間を迎えてしまった。レジ打ちのピークは18時半頃から始まる。西野が担当しているレジも含め、全てのレジに順番待ちの列ができる。流石の西野も仕事に集中し始めた。今日は月に一回の特売デーで更に忙しい。カゴいっぱいに詰め込まれた食材や日用品のバーコードを手早く読み込み、別のカゴへとまた詰め直していく。ただ適当に詰めるのではなく、少しコツが必要で重いものや硬いものは下。柔らかいものは潰れないように上。パズルゲームのようにどんどん積み重ねていく。
「お次のお客様どうぞー!」
西野はそう言って顔を上げると笑顔が一瞬でこわばってしまった。目の前にあの男がいたのだ。忙しく周りのレジ打ちはこの出禁の男が買い物していることに気がつかなかった。悟られないように一瞬で店長を目で探したが近くにいないようだった。西野はとにかく事を荒立てないように、まずは今の状況を乗り切り後で報告することにした。半額のシールが貼られた惣菜数点と店で一番やすい発泡酒3本をレジに素早く通した。
「970円です。ポイントカードはお持ちでしょうか?」
動揺している気持ちを最大限抑え込み西野は笑顔で男に尋ねた。男は西野の顔を睨みつけ、そして周りに聞こえるか聞こえないかくらいの声量でこう言った。
「お前、ワシのこと馬鹿にしてるだろ?」
西野の心臓は張り裂けそうだった。
「この間はよくもあいつに言い付けたな? ……なるほど、西野さんね。覚えたからな」
制服に付けていた名札を覗き込み、暗く落ち着いたトーンで西野にそう言い放った。男は財布から小銭を取り出しトレーに投げカゴを持ってその場をあっという間に去ってしまった。
「つ……次の……次のお客様どうぞ」
西野の目からは恐怖で涙が今にも溢れそうだったが、動揺しつつも、何とか耐えてピークを乗り切った。バイトが終わった後、従業員の待機室にいた店長に詳細を話していると、あの男の顔を思い出し身体が震え我慢していた涙が溢れ出してしまった。
「大丈夫大丈夫!守ってあげるから」
どうやら家の方向が一緒だったらしく、店長が家まで送ってくれることになった。
「すみませんありがとうございます」
西野は怖くて怖くて仕方がなかった。今までこれほどまでに他人に悪意を向けられたことはなかった。地元にいた頃も生活の中で特に大きなトラブルを起こしたことはなかったし、比較的みんなに好かれて生きてきた。相手は一方的で、理不尽で、そして話の通じるような相手だとは思えなかった。アルバイトを辞めてしまいたい思いと同時に、そんな理不尽に負けたくないという思いも少しはあった。第一バイトを辞めたから、変えたからといって安全になるわけではない。
「まあでも、あの人きっと口だけで何か行動に移すとは限らないから」
帰り道、店長は優しい顔で西野にそう話してくれた。
家に帰って早速、今日の出来事を田島に電話で相談した。田島はこの前話したことが実際に起こりうるような状況になったことに驚いた。しかしすぐに決意を固める。
「これからはバイトのシフトは俺にも教えてくれ。帰り道は俺が家まで送るよ。大丈夫。俺がそばにいるから」
その言葉を聞いて西野は少しだけ安堵し、そしてようやく身体の震えが止まった。
「ありがとう」
私には田島君がいる。きっと大丈夫。そう思うと西野はすんなり眠りにつくことができた。
西野はその日夢を見た。あの映画の中へ入り込んだ自分と田島。あの妄想の続きだった。ずっと幸せに暮らしていた二人を突然の悲劇が襲う。この物語は最後男が病気で亡くなってしまうのだ。ベットに横たわる田島を見て西野は叫んだ。
次にシフトに入ったときの店の対応は完璧だったと思う。あの男が現れるかもしれないことを考慮して1番レジに店長、2番レジに西野。常に店長が西野の様子を伺うことのできるポジションにつく。幸い勤務中にあの男が現れることはなかった。
帰る支度をし、店を出ようとする西野を店長が呼び止める。
「西野さん!ちょっと待って。今日も送るから」
「店長ありがとうございます!でも今日は大丈夫です。これからは彼氏が送ってくれることになったんです」
西野は少し照れ笑いをして店長に送るのは不要だと伝えた。
「ああそうかそうか!それはよかった。それじゃ安心だね、いいなー若いって」
店長に茶化されて西野は更に顔を赤らめた。
店を出てすぐの駐車場の角に田島がいた。笑顔で手を振っている。西野は今日一番の笑顔で田島に駆け寄った。
帰り道、西野は最近見続けている夢の話をした。田島があの映画のように亡くなってしまうところでいつも目が覚める。今朝は特に気分が落ち込んでいたと聞き、田島は西野の手を握った。
「大丈夫だって。前も言ったろ?ずっとそばにいるって」
幸せそうに手を繋ぎ歩いて行く二人。その背後に凶器を持った人物が息を顰め後をつけていた。
目を覚ますと西野は病院のベットにいた。一瞬なぜここにいるのかわからなかったが、そばに田舎から出て来ていた母親を見つけた。
「お母さん、なんでこっちにいるの?」
神妙な面持ちの母親に疑問を投げかけていた途中で、あの夜の出来事を思い出した。
「良かった。とにかくあなたが無事で……」
母親がそう言うと西野は顔を覆い大声で泣いた。
現行犯で捕まった犯人は何度も何度も、鋭利な刃物で田島の身体を突き刺した。
「ずっとそばにいるだって? 笑わせるな。キミじゃ西野さんを守ることはできない。僕じゃなきゃ、僕が西野さんを守るんだ」
西野の目の前で繰り広げられる目を覆いたくなるような現実に、西野の意識は徐々に遠のいていた。たまたま通りかかった男性が犯人を取り押さえた。声を駆けつけた近所の住人が通報し、警察が来て犯人である西野が働いている店の店長を逮捕したのだった。
部屋に飾られた写真立ての中には田島との写真が飾られている。泣きながらその写真たてを見つめる。
「ずっとそばにいるって言ったじゃん」
あれ以来ぐっすりと眠れていなかった。写真を抱きしめ、疲れ果てていた西野は座ったまま眠ってしまった。
夢を見ていたのかもしれない。疲れ切って寝ているのか起きているのか。その狭間ではあったが西野は確かに部屋の中に田島の気配を感じた。田島はにっこりと笑い優しく西野に語りかける。
「ずっとそばにいるよ」
西野はバイトどころか大学も辞めてしまい、田舎へ帰っていた。初めのうちは一人で外へ出ることもできなかったが時間が経つにつれて少し、また少しと社会復帰していった。犯人は逮捕され、クレーマーの男はこの田舎にはいない。それでも西野は一人で近所を歩くと背後に気配を感じる。いつもそばに誰かいる気がする。
「側にいてくれてありがとう」
後ろを振り返り、笑顔でそう言うと西野は再び歩き始めるのだった。
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[申し訳ございません。作者都合により6月中の配信をお休みさせていただきます。また7月より配信再開します。よろしくお願いいたします。]
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