『リユース』 1/5

 五十嵐幹夫は腕時計と時刻表を交互に見つめ、ため息を吐き駅までの道を歩き始めた。そこは病院以外では訪れたことのない町で、駅前は少し賑わってはいたがチェーンの飲食店が数点並んでいるだけで、特にわざわざ何かを目的として降りるような駅ではなかった。幹夫は記憶を頼りに、30分以上はかかるであろう道のりを渋々歩き始めた。
バラシ屋トシヤ 2023.04.10
誰でも

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「うまいな」

「仕事場の上司がね、会社近くにある商店街のお店のお味噌が美味しいっていつも言ってるの。味噌なんていつも同じメーカーの安いものを使っているし、そんないいもの私には分からないって話したんだけどさ、それでも一回試してみてって」

「味噌ひとつでこんなに変わるものなんだな」

「ええ本当に。あなたが食事の感想を言うなんて滅多にないもの」

「そうだったか?」

「いいもの教えてもらっちゃった。今度からはこのお味噌にするわ」

「そうか。……おっといけない、もうこんな時間か……病院へ行かないと」

  年に一度の精密検査が長引き、予定時刻のバスは既に出てしまっていた。

「次は……13分後か…」

  五十嵐幹夫は腕時計と時刻表を交互に見つめ、ため息を吐き駅までの道を歩き始めた。そこは病院以外では訪れたことのない町で、駅前は少し賑わってはいたがチェーンの飲食店が数点並んでいるだけで、特にわざわざ何かを目的として降りるような駅ではなかった。幹夫は記憶を頼りに、30分以上はかかるであろう道のりを渋々歩き始めた。

  一年前に交通事故に合い「もう通う必要はない」と何度も医者に話したが「何か変化があるかもしれないから」と諭され、退院した今も検診とリハビリ兼ねて一ヶ月に一度通院を続けている。

  大通り沿いをまっすぐ歩きながら幹夫は昔のことを思い出す。妻の幸枝と知り合ったのは大学の演劇サークルだった。幹夫は特に役者を目指していたわけではないが、人数が少ないとサークル自体が消滅してしまうと友人に泣きつかれ、半ば強引に所属させられていた。そこに小道具として所属していたのが幸枝だった。幸枝は手先が器用で芝居で使う全ての小道具と衣装を一人で補っていた。

「所属するのはいいが、俺は人前には出ないぞ。そういうのは苦手なんだ」

  そうは言ったものの、初めて参加したその日から幹夫は何かするわけでもなく幸枝に会うためだけに毎日顔を出すのだった。一目見ただけで美人で儚い雰囲気の幸枝に好意を抱いてたのだ。

  二人が急接近したのは公演の前日。団員の一人が足をひねって怪我をした。幸い代役はすぐに見つかったものの、衣装のサイズが合わないという問題が発生した。そこで幹夫の家で幸枝と二人、徹夜で縫い直すことにしたのだ。異性に無頓着な幸枝は男の部屋で二人っきりで過ごすことに特に特別な思いは抱いていなかった。幹夫は緊張し幸枝がどんどん縫い上げ繋ぎ合わせていくのをただ見ているだけであった。

「ありがとう幹夫くん。私の家ミシンがなくて困ってたの。助かるわ。私のことは気にせず、眠ってね」

  幸枝はミシンから目を離さずにそう言った。

「そういうわけにはいかないよ。俺も劇団員の一員だからね。朝まで付き合うさ」

  幸枝は「ふふっ」と声をあげて笑い、続けて幹夫に質問した。

「男性の一人暮らしなのによくミシンなんてあったわね」

「形見なんだ。上京する前にお袋亡くなってしまってね。親父に頼んで、お袋が大事にしてたこいつをもらって上京したってわけ。まあ俺の家にあっても宝の持ち腐れだからさ、いつでも使いにきてくれよ」

  幹夫が照れくさそうにそう言うと幸枝はミシンから目を離し、そのまま後ろの壁に寄りかかって座っている幹夫の方を振り返った。

「そうだったの。そうとは知らずにごめんなさい」

  幸枝が悲しそうな顔をしたので幹夫は少し焦った。

「よせよ。とっくの昔に吹っ切れてるさ」

  幸枝は作業を中断し、幹夫が出していたインスタントのコーヒーを一口飲んでゆっくり息を吐いた。

「幹夫くん、九十九神って知ってる?昔から物には魂が宿ると言われているの。人を惑わせる精霊が取り憑いた、だなんて言う人もいるのだけど、私はそうは思わない。大切にされればされるほど、持ち主の想いが念となって物に宿るんだと思う。このミシン、手入れされずに放置されていたのにとっても状態が良くて使いやすい。お母様、よっぽどこのミシン大事になさっていたのね」

  幸枝からそんな神話というか、非科学的な話が飛び出すとは思っておらず幹夫は驚いた。

「九十九神ね……なるほど」

  そんな一面もあるのだと驚いた、と同時になんだかおかしくて幹夫は少し吹き出してしまった。

「あ!笑った。信用してないでしょ? もう本当なんだから!」

「いやいや信じてる、信じてるよ」

  朝までそんな不思議な話や、くだらない話をした。朝になって二人で眠い目を擦りながら大学へ行くと、仲間から昨日何があったんだと茶化されたが嬉しかった。幸枝もまんざらでもない顔をしていたように思う。

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